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経営・技術イノベーション
最先端事例 Vol.39

企業のご紹介
岐阜県・愛知県で砕石業を手掛ける株式会社小西砕石工業所。
東海環状自動車道など東海地方の一大プロジェクトを支え、来年は創業75周年を迎える老舗だ。
オイルショックなどで苦境に立たされた時期もあったが、V字回復を成し遂げたのが3代目の現社長・小西輝幸氏。
業界団体の要職も務める小西氏は、すでに数十年後の未来を見据えている。
スポーツや社会活動で学んだ経験を仕事に活かす
砕石事業で東海地方の発展に寄与、老舗のリーダーとして業界の未来を考える
株式会社 小西砕石工業所
プラント全景
愛知県瀬戸市の富士工場(昭和32年操業)
会社データ
設立 1933年
本社 岐阜県加茂郡坂祝町取組1-1
社長 小西 輝幸
資本金 9,680万円
従業員 75人
会社のピンチを待遇改善で救う

 小西砕石工業所(以下・小西砕石)の創業は昭和8年。水野組(現・五洋建設)を独立した初代・小西佐一郎氏が、小西組として愛知県蒲郡市で土木業を始めた。現在会長を務める2代目・則雄氏は満州へ渡るなど戦争の混乱を乗り越えながら、砕石業の礎を築いた。
「会社の転機は中央自動車道の建設ですね。それに合わせて愛知県瀬戸市に富士工場を開きました。ところが道路が開通すると経営が危なくなった。これもまたひとつの転機でした」
そう語るのは3代目にあたる代表取締役社長・小西輝幸氏。中学2年生から柔道を始め、高校時代はインターハイに出場。同志社大学でも柔道に打ち込んだ。
「4年生のとき、就職活動で商社ばかりを受けました。ところが親友がドイツ語の単位を落として留年してしまい、なぜか私も付き合ってしまいました(笑)。そして2度目の就職活動では一転して土木関係ばかり受けました。当時の心境はよく思い出せませんが、家業を継ぐことを考え始めたんでしょうね」
そして昭和50年、フジタ工業(現・株式会社フジタ)に入社。ところが父・則雄氏に『5年経験を積んでから実家に戻る』と話していたにも関わらず、わずか2年で呼び戻されてしまう。
「父が会社にやってきて『息子を返してください』と上司に頭を下げました。当時父は話してくれませんでしたが、私が大学を卒業する頃は中央道の工事がなくなったり、オイルショックに見舞われたりで会社が非常に苦しかったようです」
岐阜へ戻った小西社長は、まず労働環境の改善に着手した。日給制だった現場の社員を月給制にして、管理部門の社員と同じ待遇に。それが社員の能力や工場の生産性をアップさせ、業績回復につながった。

JCの活動で汗を流し経営やマネジメントを学ぶ

 外で勉強を積む時間もなく、25歳で父のもとで働くことになった小西社長。JC(青年会議所)への参加が、経営者として大きな財産になったという。
「JCなんてくだらんと思っていましたが、ある先輩から『ゆくゆくはトップになる者が、人に使われる勉強をしなくてどうする』といわれて考えが変わりました。行事があると若手は運転手をやるのですが、後部座席で先輩たちが話していることが、そのまま経営の参考書になるわけです。リーダーシップや人事、社会活動など勉強になったことは多いですね」
小西社長はとくに人事の重要性を説く。実力を公平に評価。配属は使いやすさではなく、人の適性を考える。万が一自分がいなくなっても、5年間は会社が安泰でいられることをつねに考えているという。会社として資格の取得や研修を支援するほか、重大な決裁を社員に任せることも多い。重機の選定もそのひとつだ。
「私が選んだ重機ですと、おもしろくないときに八つ当たりされるでしょう(笑)。それは冗談ですが、自分で選んだ重機であれば大切に扱うのではないかと思うわけです」
また能力や人望があると思った社員には、子会社を設立してトップに据える。現在はリサイクル、ガソリンスタンド、保険、不動産などの業種に進出。近々運輸会社も設立するという。

リサイクルとの融合など、砕石業の未来を考える

 小西社長は平成11年には日本砕石協会の理事に就任。その後常任理事となり、さらに技術安全委員長も歴任。日頃考えているのは砕石業の将来。採掘を終えた跡地をどうするかは、業界全体の大きな課題だ。
「業種転換を考えなければいけませんが、産業廃棄物の最終処分場はひとつの在り方だと思います。砕石業は地元に根ざしている仕事ですから、ほかの業種や新規参入に比べて、信頼を得られやすいと思います」
前述の通り、小西砕石では早くから環境・リサイクル事業に取り組み、再生骨材の供給を行っている。砕石とリサイクルは相反する事業だが、小西氏はだからこそやるべきなのだという。
「アメリカの電線会社はグラスファイバーの登場でほとんどが倒産しました。しかし日本の電線会社はグラスファイバーも手掛けたので生き残りました。砕石業も同じです。最終目的は骨材を提供することですから、砕石かリサイクルかという手段にこだわる必要はないのです」
つねに先を見据える小西社長の持論は「問題意識を持て」。今日は昨日と何かが違う。それを見つけることで、問題の解決や改善につながるという。いまは社員と居酒屋でガヤガヤ談義をするのが楽しみという小西社長。言葉のひとつひとつから、スポーツマンらしい誠実さが伝わってきた。

富士工場では、ホイールローダ・WA380、BM595Fなど多数の重機が活躍する。
写真右下は、富士工場を託されている堀尾伸介事業部長。「地元住民の方々が我々に好意的で、とても仕事がしやすい」という。

(大地 2008年冬号 Vol.98より)
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